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住宅関連記事・ノウハウ

建築家 天野 彰 レンガや石積みの家は身を守る家?~冷暖房の時代も「夏を旨とする」!

1 レンガや石積みの家は身を守る家?

寒さは重ね着をして火鉢を抱いてでも何とか過ごせます。しかし暑さや今日のような蒸し暑さには風の通らない家は何ともしがたいものとなるのです。

現代は高気密高断熱の冷暖房がよく効く住宅構造となり、その「気密性」の真価を発揮する時代となり、それが省エネと言うのですが、実は兼好法師の説く「夏を旨」とは、この厳冬寒波のときにこそ言えるのです。え?どうして?と思われる方も多いと思われますが、まさしくこれは科学的で、かつ合理的なことと言えるのです。

兼好法師の「夏を旨」とは
兼好法師の「夏を旨とする」を絵にすると・・・(画:天野彰)

幾度か欧米に訪れ友人の住まいなどに泊って、建築の現場に行ってその構造を見ますと、これは改めて“彼らの家”であって“私たちの家”ではないことをつくづく実感したのです。このことは半世紀前の学生時代、あの学園紛争がくすぶり始めていたころ、血気盛んな私も大学にちょっとした失望を抱き、西欧建築の実際を学ぼうと、社会主義であったソビエトはモスクワに向けて旅に出ていたのです。まさか亡命?を図るべくソ連船オルジョニキッゼに乗ってウラジオストックに向けて出航した訳ではないのですが・・・。

今思えばロシア語もままならいままモスクワ大学の建築学科に入ろうなどと、まさに20歳そこそこの世間知らずの若気の至りそのものだったのです。「この国から亡命したい奴はおっても亡命してくるバカがいるか!!」と、現地在住のメディアの“ある人”にホテルのロビーのど真ん中で大声で叱責され、戻るに戻られず北欧のヘルシンキに抜け、そこから図らずも欧州そして中東各地を放浪すると言う結末となったのです。

50年前のローマテルミナを歩く天野彰
50年前のローマテルミナを歩く著者。若い!(天野彰)

2 寒暖の差が激しい欧州の家

話が横道にそれてしまいましたが、この辺りのわが恥ずかしの半生回想録とも言える、拙著「いい住まいの本」PHP刊に詳述していますのでよろしかったら図書館か、中古にてどうぞお読みください(私の事務所に多少の在庫もありますが・・・)。

天野彰著「いい住まいの本」(PHP)
「いい住まいの本」(PHP)表紙(天野彰著)

そんなこんなでヒッチハイクで欧州各地の家々にお世話になりながらの貧乏旅行が始まったのです。横浜や丸の内界隈の庁舎などに残る伝統的かつ重厚な石やレンガ積みの英国建築に、実際に彼らが日常的に住んでいる家であることに驚きながらも彼らの家に泊り、改めてその、まさかこんな分厚い壁の家が私ども日本の家に馴染もうはずがないと思いつつも居候を続ける貧乏旅行となったのです。

欧州の家々、パリ市内
300年以上住み続ける欧州の家々パリ市内(天野彰)

そして常に肌で感じていた、夏でも昼と夜との寒暖の差が激しい大陸性の気候と、さらに冬は、重ね着どころか死にそうなほどの寒さであることを実感し“彼らの家”の本質は彼ら自身を寒さから“身を守る砦”であることを知ったのです。

ミラノの建物と虹
ミラノの建物と雨上がりの虹 数百年働き住む家(天野彰)

3 「壁の家」と「傘の家」

欧州の家は冬の余りの寒さがゆえ、さらに大陸で国境に接する列国からの侵入に“身を守る砦”の「壁の家」で、わが国にその見かけの形や合理的な構法だけが取り入れられ、今ではわが国独自のパネルやツーバイフォーなどの高気密高断熱の「壁の家」となっているのです。そのため乾燥する冬は暖房で室内がさらに乾燥し過ぎないように注意が必要ですが、多湿のわが国では壁面やサッシの枠、便器の裾などの結露が問題となります。特に怖いのは普段目にすることができない壁の中や床下などに起こるの「壁内結露」です。その結露水は流れ出ることなく構造を腐敗させるばかりか、住む人をカビやダニで苦しめることにもなりかねません。

 そんなことからわが国の住まいは夏も冬も四季を通じて「“夏”を旨とすべし」なのです。この“夏の家”こそ、対湿気の「傘の家」となるのです。

左:お馴染み湿気の籠もらない「傘の家」蒸れると「壁の家」 右:日本の家は通気の良い傘の家(画:天野彰)
左:お馴染み湿気の籠もらない「傘の家」蒸れると「壁の家」 右:日本の家は通気の良い傘の家(画:天野彰)

住まいは夏を旨とすべしの「徒然草」はわが国の偽らざる自然や生活、さらに世相を穏やかにかつ的確に言い著している貴重な随想で、何年にも渡って人々が読み継いでいるものです。この気候と風土の中に息づいているテーマこそ「湿気」で、住まいも暑いときも寒いときも常に湿気とかかわり、この梅雨時こそがわが国の住まいの本領を発揮するときだと言えるのです。

大震災を体験し、エネルギー問題にも直面し、人々はかつての暮らしに回帰しようとし、今改めて「夏を旨とすべし」なのです。もともと日本の家は「日照」よりも深く低い庇(ひさしに縁側があり、その奥に畳の部屋があるのです。深い庇は日陰をつくり、雨の湿気を防ぎ、床を高く上げて風を通し、冷えた空気を室内に取り入れようとするまさしく“傘の家”なのです。実は厳寒多雪地帯にある白川郷の合掌造りの家でさえ「傘の家」だったのです。ぶ厚い萱葺き屋根は外断熱ですが、内側は吹き抜けで風通しよく開放でき、両妻側の三角部分は、障子の紙一重に戸板の雨戸だけで、冬でも一気に開放し通気をするのです。だからこそ300年以上も長持ちするのです。

白川郷合掌造りの障子の妻側(明善寺)、吹き抜け下の囲炉裏と火だな(フード)で全館暖房!
左:合掌造り妻側は障子と板戸だけ明善寺 右:囲炉裏と火だな 冬はこれで全館暖房(画:天野彰)

4 都市の中の密集地の京の町家も「傘の家」

コンチキチのお囃子に包まれるころ、京都の夏はことのほか暑く、反対に冬は冷え込みます。郊外の家はともかく都市化され、密集化すると、火災を考え隣家とは防火壁で囲い、否応なく隙間のない「壁の家」となります。そのため家の中に中庭や植栽を設け通気をします。この“傘”を家の中央の中庭に向け、小さな自然をつくるのです。それが京の町家で、なんと内側に向いた「傘の家」なのです。京都は大阪や奈良の隣で、なんとなく温暖な関西の町というイメージがあります。が、意外にも日本海に近く、立体的な地形図で見ると、山脈の尾根が切れて、北陸の風が吹き込んで来て、しかも北山と比叡山、南は紀伊の山々に囲われて、あの厳寒多雪の白川郷にもよく似た盆地とも言えるのです。夏暑くしかも冬寒い地形なのです。

まさに夏を旨とする街づくりは夏の暑さ対策と、冬の北山おろしの寒さ対策、さらには防火対策です。その形状こそが、今の京都の南北を軸とする路地と中庭の町家群であり、いわば世界にも類を見ない、すべてが木造の都市の“遺跡”が、幸運にも戦禍を免れ現代もなお生きた文化財となって残っています。町家はなにも京都に限らず古い町に行けばどこにでも見られるものです。

町家の平面図
町家の通り庭と中庭のプラン(画:天野彰)

街道沿いに密集する商家ならば、あの卯建(うだつ)という豪華な防火壁を見ることもでき、その奥には必ず中庭があります。卯建についてはいつか詳述するとして、多くの人が集まって住む街で、当時の人たちが抱えた課題とは、それまでの開放的な“傘の家”をいかに都市に適合させるかです。武家や大名などは、広い敷地に塀を巡らし、その中に野中の一軒家のような開放的な家に住むことができます。しかし町民や商家などは、限られた敷地の中で最大の間口の家や店をつくり、さらに類焼防火のために隣家との間は土壁にし、その壁に沿って風が通る“傘”をつくることです。それが町家です。

町家の穏やかな中庭と通り庭(台所)
左:町家の穏やかで涼しげな中庭  右:町家の通り庭(台所)風が涼しく通り抜ける(天野彰)

町家には、都市の家の“千年の工夫”とも言うべき生活の知恵があります。路地と路地裏を通り抜ける「通り庭」があり、それに接して「植栽」や「坪庭」が平面的な通気採光を即します。さらに驚くべきはその断面を見ると、家そのものが“巨大な換気扇”になっていることです。中庭の前後の家の瓦屋根は昼間、太陽に熱せられ、上昇気流を起こします。するとこの中庭の空気が負圧となり、屋根の上昇気流に吸い上げられるように昇っていきます。室内の空気がそれに引っ張られ、表と裏の両路地から中庭に向かって入って来るのです。夕暮れ時に路地に打ち水をすると、蒸発潜熱で冷えた空気が室内に呼び込まれ涼しくなるなど、驚くほどに科学的な工夫と、今も残る連子格子の町並みのたたずまいに誰もが心のふるさとを感じるのです。

町家の断面図大きな換気扇、京都の街並み
左:町家の断面は巨大な換気扇 右:町家が連続する京都の路地(画:天野彰)

5 雨露凌ぐ江戸の裏長屋こそ切妻の「雨傘の家」江戸の文化に学ぶ現代の住まいと街?

江戸の裏長屋(深川江戸資料館提供)
深川江戸資料館提供:熊さん?の江戸の裏長屋(左)八つぁんの長屋(右)

住まいの設計を家業としていますと世相が身に染みて分かるものです。家族や暮らしの変化もよく分かります。その意味で最近の住まいは内外ともに最悪のときではないかと思えてなりません。もう記憶にない人も多いとも思われるオイルショックの時の不況は確かに“ショック”ではありました。が、中東情勢さえよくなればすぐに良くなる!と言った期待がありました。そして景気は一気に回復し訪れたバブル経済とその崩壊!と続くのですが、今の不況はまったく違っています。そんな中で突如起こった東日本大震災を機に政権?が変わってからどん底のような不景気感からなんとなく景気回復の兆しが見えているようなムードなのですが、こと住生活側から見ると根本的なことは何も変わっていません。ドル不信のせいでの円高が少しやわらぎ抑えられていた株価がちょっと上がったことに一喜一憂しながらも、一方で価額破壊や安売りの外食や衣料品が売り出されて一見良さそうと思いきや下請けいじめや国外生産などで雇用が減り、生き残りのためのリストラが急増し結局全員が苦しい結果となっているのです。

まさに“ねずみ講”の結末のように、これからくる大きな生活変化に国民の誰もが先行きの不安を感じているのです。こうなると誰もが今より良くなるという望みより、何とかやっていければ良い!的な焦燥感の中にいるのです。中でも直接打撃を受けるのが“老い”を感じ始める年齢層で、その先の老いの長さと不景気感覚が移るせいか、つつましく、彼らの次世代の若者たちまでもが意気消沈してしまっているように思えてたまりません。

今日のまでの繁栄をつくってきた中核の世代とその子ども世代がこれでは皆元気がなくなってしまいます。物に溢れしかも安くて暮らしやすい時代にもかかわらず、超高齢化社会の医療費負担、年金支給削減、介護保険料負担など、ある程度の覚悟はできて貯えてはいるものの、現実は長寿で何年生きながらえるかの予測もなく、老朽化する住まいを抱えながらも巨大地震のための耐震補強の予算などなく、ますます我慢、我慢の生活を余儀なくされているのです。

これはまさしく江戸の末期と非常に似ていると江戸文化研究に長ける人々は指摘するのです。なるほど今と昔、長寿の差はあれど、こうして皆さまの住まいを設計しながら世相の焦燥感を抱くのは私だけなのでしょうか?しかし江戸の裏長屋に住む熊さん八つぁんは9尺二間の狭い、いや小さい住まいながらも溌剌と生きていたのです。そうです!冷房も暖房もない裏長屋で家族やりくりして“川”の字、いや“州”の字で寝ながらさらに夜なべもしながらも、翌朝になれば、「いよっ!ちっくら行っちくるは!」の熊さんの掛け声に、こんな不景気感をぶっ飛ばすようなパーッと明るい家をつくろうと改めて決意するのです。

江戸の裏長屋の家族の図
私が想像する裏長屋の家族のやりくりの生活(画:天野彰)

断熱材どころか窓もなく、切妻の雨傘のような住まいながらも、人々と息の通い合う、“いい気”の通う家、そう、元気の出る家にすることです!

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建築家 天野 彰建築家 天野 彰

建築家 
天野 彰

岡崎市生まれ。日本大学理工学部卒。
「日本住改善委員会」を組織し「住まいと建築の健康と安全を考える会 (住・建・康の会)」など主宰。住宅や医院・老人施設などの設計監理を全国で精力的に行っている。TV・新聞・雑誌などで広く発言を行い、元通産省「産業構造審議会」や厚生労働省「大規模災害救助研究会」などの専門委員も歴任。著書には、新刊『建築家が考える「良い家相」の住まい』(講談社)、『六十歳から家を建てる』(新潮選書)『新しい二世帯「同居」住宅のつくり方』(講談社+α新書)新装版『リフォームは、まず300万円以下で』(講談社)『転ばぬ先の家づくり』(祥伝社)など多数。

 一級建築士事務所アトリエ4A代表。

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